【インタビュー】音楽、ファッション、ワイン、そして佐渡へ──信田聡美さんの多彩なキャリアストーリー
パリで音楽を学び、アパレル業界を経て、ワイン造りの道へ――。
そして現在は佐渡島で「キャリアコンサルタント」と「ビストロオーナー」という二つの顔を持つ信田聡美さん。大きな転機を何度も乗り越えながら、自分らしいキャリアを築いてきた彼女に、これまでの歩みと、これからの未来について伺いました。
-まず、現在のお仕事について教えてください。
平日はキャリアコンサルタントとして「リレイティブ」の佐渡オフィスで働いています。場所は両津港のシェアオフィスです。
週末は、佐渡でビストロを営んでいます。

-ご自身のキャリアにおける大きな転機は何でしたか?
いくつかありますが、最も大きいのは「パリでアパレルの仕事を辞めて、
地方に移りワイン業界に入ったこと」です。
都会から田舎へ、販売からワイン造りへ。大きな方向転換でした。
-そもそもフランスでは音楽を学ばれていたんですよね?
はい。私は音楽大学を卒業し、これまで演奏や指導に携わってきました。
ただ、怪我によって演奏を続けることが難しくなり、新しい道を探さざるを得なくなったのです。もともとは大学を卒業したら日本に戻ろうと思っていたのですが、フランスでの仕事や人との繋がりが次第に日本での繋がりより強くなり、そのままフランスに残る決断をしました。
パリに骨を埋める覚悟を決めたのは、文化的な豊かさや自由さに強く惹かれたからです。家を出れば世界中の人々と出会える解放感や刺激が、自分にとても合っていたのだと思います。そこで暮らす人々、歴史、文化——そのすべてが本当に好きでした。
そんな中で怪我をして、「これから何をしようか」と考えたとき、もともと洋服やファッションが好きだったことを思い出しました。ちょうど日本語とフランス語を活かせる販売職を探しているブランドと出会うことができ、幸運にも販売の仕事に就くことができたのです。
最初はニットブランド「エリック・ボンパール」で、
その後「サンローラン」で6年間働きました。
-ワインの世界へ入るきっかけは?
子どもの父親との出会いです。
彼がワインを造っている醸造家で、
もともと、私も食べるものとかワインが好きでした。
そんな中でワインにものすごく興味を持っていることもあり、
彼と出会ったことで、一緒に働きながらワインを学びたいなと思ったことが
キャリアチェンジのきっかけです。
場所はフランス東部アルボア、ジェラ地方でスイス国境に近い場所です。
-醸造家でもある彼との出会い。ワイナリーでお仕事をされていたんですか?
そうですね。ワイナリーで仕事をしていました。
葡萄をつくり、醸造して販売するまですべてやっていました。
収穫時には、二十人ぐらい手摘みの摘み手が手伝いに来てくれますが
それ以外はすべて彼と2人でやっていました。
-そこから日本・佐渡へ移住した理由は?
日本に引っ越そうと思ったのは、当時の主人のアイデアなんです。
私はフランスからそもそも出ようとは考えてもいませんでした。
子どもが生まれるってわかった時に、
彼がこの子には「日本の文化に触れさせたい」と。
また、もっと自由なワイン造りをしたい思いも重なりました。
しかし、子供が生まれるってわかったのが、
ちょうど2011年の東日本大震災後だったんです。
私の実家が茨城なんですが、
フランスとかヨーロッパから見た3.11は、もう本当に大変な出来事で
日本はどうなっちゃうのかと。
関東地方でもだめなんじゃないのか。
それぐらいショッキングなニュースでした。
子どもが生まれるのがわかっているのに、
実家のある茨城に行くのは考えてなくて、
フランスでワインを勉強した仲間たちに聞いたり、
日本地図を眺めていて、日本海側に島を見つけたんです。
島に住んでみたい! 島よさそうだね。
ブログで出会った移住者の米農家さんの後押しもあり、
佐渡を知り、自然と文化に魅了されました。
スーツケース4つで移住しました。
ビストロ「ラ バルクドゥ ディオニゾス」のスタート
ワインはすぐに出来るものではないので
私たちが扱っているワインを少しでも知ってもらえるような飲食店をまずやろうと。
佐渡の季節の食材を使ったフランスの家庭料理、ビストロ料理を
ワインと合うよう提供しようと。ビストロを始めました。
ラ バルクドゥ ディオニゾス
※完全予約制のビストロです

今でこそ新潟でも、ワインを飲む文化が広がっていますけど
何しろ日本酒文化が根強い地域です
まずは、ワインを知ってもらう場所があってもいいのかなって、
葡萄畑をやりながら、飲食店を始めました。
そしてキャリアコンサルタントへ
コロナ禍や生活環境の変化を経て、キャリアコンサルタントの仕事に出会いました。
「佐渡に拠点を置き、キャリア支援をする会社がある。
それが島の活性化につながると思ったんです」。
現在はオンラインで求職者と向き合い、
一人ひとりのキャリアをサポートしています。
-海外での転職やキャリアの経験を経て日本に戻ってきた先輩として、これから転職を考える若い方々にどんなメッセージを伝えたいですか?
変わることを恐れないことが大事だと思います。
どの道を選んでも楽なことは少なく、
怖くて挑戦できないことも多いでしょう。
でも、5年、10年後に振り返ったときに「やっておけばよかった」と思っても、もう取り返せません。その後悔のほうが、ずっと辛く、悔しいものだと思います。だからこそ、何かやってみたいと思ったときは、迷わず挑戦することが大切なんじゃないでしょうか。
そして、挑戦した先には必ず「相手」が存在します。
どんな仕事をするにしても、それはお客様かもしれないし、一緒に働く仲間かもしれません。
自分の技術や知識ももちろん重要ですが、それ以上に大切なのは、
相手が「何をしたいのか」「今どう考えているのか」「これからどうしたいのか」を感じ取り、先回りして考える力が大事だと思います。
※海外留学や幾度となくキャリアチェンジを経験してきた信田さんだからこそ、力強い言葉です。
-子育ても仕事も両立しながらキャリアを続けてこられた経験から、これから出産や子育てをしながら転職を考えている方に、バランスの取り方やちょっとしたコツを教えてもらえますか?
業種によって状況はさまざまなので一概には言えませんが、
子どもが小さいときは思い切って「子どもにフォーカスする」ことも大切だと思います。
その時期にキャリアにブランクが空いてしまうことを不安に感じる女性は多いかもしれません。ですが、子どもが小さい時期の時間は二度と戻ってきません。その大切な時期をできるだけ一緒に過ごして、子どもが保育園や幼稚園、学校に通うようになり、少しずつ成長していくのに合わせて、自分自身も「第二のキャリア」を育てていく。そんな気持ちで取り組めると、子育てもキャリアも前向きに楽しめるのではないでしょうか。
もし「子どもがいるのにキャリアで突き進まなければ」と思ってしまうと、子どもの存在をハンディのように感じてしまい、結果として子どもにも自分にも負担になってしまいます。
だからこそ、「諦める」のではなく、きちんと線を引いて、心に余裕を持ちながら両立することが大切だと思います。
-これから先の3年、5年でどんなことをやってみたいですか?
私は5年後、10年後というスパンで考えると、
働く世代の方々にもっと佐渡に来てほしいと思っています。
そのために、キャリアコンサルタントとしてできる限りのサポートを続けていきたいです。
さらに、ビストロでは観光で訪れたお客様から「佐渡の良さがわかった」「佐渡の魅力が伝わった」と言っていただくことが多く、その経験を通じても佐渡の魅力を発信していきたいと考えています。
この二つの取り組みを両輪として進めることで、佐渡に人が戻ってきたり、新しく入ってきたりするきっかけをつくることができれば嬉しいです。
現在、佐渡オフィスはまだ3人ですが、これから5人、10人と大きくなっていけば、とても面白い展開が待っているはずです。
特に、一度外へ出てから佐渡に戻ってくる若い人たちと一緒に拠点を育てていければ、きっと新しいことに次々と挑戦できると思います。
若い世代ならではの「佐渡の未来に対する視点」を取り入れながら、
ともに成長していけることを楽しみにしています。
-最後の質問です。
大切にしている言葉とか座右の銘とかありますか。
「今を生きる」です。
しっかり計画を立てて
将来の見通しをつけることが大事だと一般的には言われていますが、
人生は計画通りにいかないもので、そこが魅力なんだと思っています。
今、目の前にいる人、今起こっている事、
今の自分に真摯に向かい合って毎日を積み重ねていくと、
最終的に自分らしい人生が歩めるのではないでしょうか。
取材後記(編集メモ)
信田聡美さんのキャリアは「音楽 → ファッション → ワイン → 飲食 → コンサルタント」と、まさに異業種・異文化の連続でした。
それでも共通しているのは「人と向き合い、変化を恐れず一歩を踏み出す」姿勢。
転職を考える人にとっては「挑戦する勇気」を、人事や採用に携わる人にとっては「人の可能性を信じ、伴走する重要性」を教えてくれるインタビューとなりました。

信田聡美さん、どうもありがとうございました。
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